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いつき

1962年生まれ。京都府出身 同志社大学工学部卒。85年より京都府立高校教員(担当数学)。2004年、「いつき」に改名。現在は、「不完全フルタイムトランスジェンダー」として、日常生活を送っている。全国在日外国人教育研究協議会事務局員。トランスジェンダー生徒交流会世話人。著書に「セクシャルマイノリティ」(明石書店刊)

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トランスジェンダーと教育

――土肥さんがトランスジェンダーだと気づいたきっかけを教えてください。

土肥 直接のきっかけは1997年です。私が勤務する高校の文化祭で、教職員劇をしていました。その台本を担当していて、職員室の皆から「ホモネタをやれや」という話になって、人権問題をやっている人間としてそれはあかんやろうということですが、ホモネタは引力が強いので、それにすることにしたんです。ただ、同性愛を題材にするけれど、同性愛者を笑いものにする芝居はしたくないと、途方に暮れました。
そのときに、協力してくれていた教員が「実は自分は同性愛者なんだ」と告白してくれて、その人からいろいろな資料をもらい勉強しました。その中に、トランスジェンダーという言葉がありました。私はそのときに、自分がトランスジェンダーという名前の付く存在だと気がつきました。

―小さいときから、自分は女性だというような気持ちがあったのでしょうか。

 

土肥 私は女性の身体を獲得したいと思っていました。そう思っても実現するのは難しいですが、でも、自分のボディーイメージに近い身体は女性の身体なんだろうと思っていました。

――当時は結婚して2人のお子さまがいらっしゃったとのことですが、ご家族との話し合いはどのようにされたのでしょうか。

土肥 知った時点では黙っていようと思いました。1999年に、ゲイの人から「トランスジェンダーを実践しているのか」と問われ、「していないな」と思いました。最初に言わなければならないのは家族です。子どもは小さかったので、言う相手はパートナーです。パートナーに「自分は男じゃないよ」と話しました。パートナーは世界がひっくり返ったような気持ちだったらしいです。
でも、私を死なせてはいけない、しかし、やっぱりいやだということで、揺れ続けました。3年くらいかけて話し合いました。「あなたがしたいならすればいい。その結果、なにがあっても、その責任はあなたが取りなさい」ということです。

 

――お名前を「いつき」に変えられたのですね。すんなり認められましたか。

 

土肥 2003年に戸籍名を「いつき」に変えました。当時は「性同一性障害」と言っていましたが、性同一性障害を理由とした改名は少なかったですね。家庭裁判所で審理されるのですが、私は「いつき」という名前で文章を書いていたので、その点は考慮されたと思います。最後に裁判官は「ご苦労されていると思います」と言ってくれました。

 

――在籍する高校では、教職員、生徒にどのように話をされましたか。

土肥 基本的にしていないですね。2002年に「部落解放」という雑誌で対談をすることになりました。行政の人や教員仲間も読んでいる本です。そのときに、性同一性障害の診断書を取って掲載し、管理職には言いました。病名は性同一性障害ですが、所見欄には、「上記病名により通院しているが、日常業務や生活に何ら支障はない」という趣旨です。つまり、病気ではないという診断書です。2009年に、女性ロッカールームを使いたい、女性トイレを使いたいと思い、理解のある養護教員に話しました。すると、女性教員の集まりを開いてくれました。その際に説明をしました。その2回です。あとは、言わなくてもばれているので、言わなくてもいいかなと。

 

――セクシャルマイノリティ教員のコミュニティ「STN21」という組織で活動されているとのことですが、どんな組織でしょうか。

土肥 STNはセクシャルマイノリティ・ティーチャーズ・ネットワークです。私にゲイだと言ってくれた人が中心になって2000年12月に設立したグループです。21世紀になる直前に作ったので、「21」を入れています。教職員であることとセクシャルマイノリティであることの両方を言える場所はなかなかないのです。例えば、教職員組合の女性部や青年部は女性ならでは、青年ならではの要求があります。ところが、セクシャルマイノリティならではの要求、教育的視点を共有する組織はない。そこで、それらを共有する場所が必要ということで、ゆるやかなネットワークを作ることにしました。メーリングリストに登録されているのは50-60人です。

 

――トランスジェンダーの生徒たちは、どのような悩みを持っていますか。「トランスジェンダー生徒交流会」を開催されているとのことですが、どのような交流会ですか。

土肥 例えば、制服、トイレ、更衣室、「くん」「さん」付けの問題、修学旅行の部屋割り、持ち物など、学校生活の全部です。小学1年生の子も来ます。1年生だとなにもないと思われがちですが、実はその子をどういう性別で扱うかという時点で、壁があります。小さい子はあまりしゃべりませんが、同じ悩みを抱えていると分かっているので、頭の中ではいろいろと考えていると思います。中学生になると、しゃべるようになりますね。


――どのように知って集まるのでしょうか。

土肥 口コミですね。いくつかのルートがあり、一つは小さい子の診察をしている精神科医のルートです。医者としては、できることがないと言って、交流会を紹介してくれます。ここの空気を味わってほしい、一緒に遊んでほしいという感じです。トランスジェンダーの保護者の会もあり、そこの人が連れてきたり、学校の教員が連れてきてくれたりします。基本的には交流会のメールアドレスに連絡するということです。子どもたちのプライバシーの問題があるので、私を通してもらうシステムにしています。
交流会は3カ月に1回ぐらいのペースで開催しています。7月は遠出します。昨年7月は鳥取県に行きました。今度は香川県に行きます。海に行きたいのです。子どもたちに海水浴をさせたい。着たい水着を着て、好きなだけ泳いでほしい。思い切り話し、大人(教職員、保護者)も思い切り、酒を飲んで、どんちゃん騒ぎです。公民館を借りて雑魚寝します。京都府在住の人だけではなく、どこに住んでいても参加できます。以前は鹿児島県や長野県から来ていました。今は各地に交流会ができてきているので、遠方の人ではなく、関西圏の人が多いです。

――トランスジェンダーを含むセクシャルマイノリティの教職員、児童生徒への対応について、文部科学省はどんな施策をしていますか。それを、どう評価しますか。

土肥 文科省は性同一性障害の児童生徒への対応はすると言っています。性的指向に関することについても相談体制を取れと言っています。自殺予防大綱の中で、自殺のハイリスク要因にセクシャルマイノリティがあげられているので、そことの整合性を取っています。でも、同性愛の子どもについての具体的な取り組みは提示していません。セクシャルマイノリティの教職員に対しては、一切、何も言っていません。インクルーシブ教育が必要です。例えば、車いすの子がいるのだから、皆で車いすをかつぎなさいということではなく、バリアフリーにしようということになるはずです。合理的配慮です。同じように、「同性愛の子どもに対応する」のではなく、同性愛者をインクルードした教育に変えていく。学習指導要領には同性愛もトランスジェンダーも一切記載していません。いないことになっています。それは問題だと思っています。

――文科省もインクルーシブ教育を推進すると言っていますが。

土肥 日本型インクルーシブ教育と言われる教育システムは、障がいのある子どもたちを対象に、特別支援教育を推進するということが柱で、障がいのある子どもを分ける教育です。国連障がい者権利委員会は2022年9月、日本政府にインクルーシブ教育の見直しを勧告しましたが、文科省は変えないと言っています。

 

――セクシャルマイノリティの教職員、児童生徒への学校(校長、教頭、教職員)の対応について、どのようなことを望みますか。

土肥 フィンランドの包括的性教育のセミナーで司会をしたことがあります(注:リンク先のpdf参照)。セクシャルマイノリティの教職員はカミングアウトしているのかと質問したら、何の話をしているのかと言われました。セクシャルマイノリティの人がいるのが当然で、異性愛者がカミングアウトしないように、当たり前のようにセクシャルマイノリティを表出して生活しているので、カミングアウトの必要がないのです。
世界が違うなと思いました。フィンランドも日本も、しんどい状況はそれほど違わなかった。それをどう克服しようとするかというときに、やり方が正反対だった。フィンランドは包括的性教育にかじを切り、日本は純潔教育、子どもたちに性をタブーにする方向になりました。フィンランドは大人も決して完成した人間ではなく、子どもも大人も生涯にわたって性を学び続けるという考えです。日本でも包括的性教育が必要だと言う方は増えていますが、まだ点であり、線にはなっていないように思います。

――最後に、セクシャルマイノリティの子どもや教職員が安心して過ごせる学校、社会になるために必要な課題は何でしょうか。

土肥 カミングアウトというのは、カムアウト・オブ・ザ・クローゼット(come out of the closet)から出た言葉です。クローゼットに閉じこもっていないで、飛び出すということです。だから、カミングアウトの反対語はクローゼットです。私はカミングアウトしていないのでクローゼットですが、ドアが開いていてフルオープンです。ようやく女子会の案内も来るようになりました。そこまで変わるのに時間はかかりましたが、今はごく普通に教員をしています。女子トイレを女子生徒と一緒に掃除していても、生徒たちは不審に思わない。過ごしやすい環境にいると思います。
セクシャルマイノリティにとって、カミングアウトは最大の武器であり、まずはカミングアウトできる社会を作ることが必要です。それなしでは、カミングアウトしなくてもよい社会は来ない。最近、『真のダイバーシティをめざして-特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』(ダイアン・J・グッドマン著、上智大学出版)という本が話題になりました。マジョリティが自分の特権に気づいて、それをどう是正するかをマジョリティ自身が考えるということを提唱しています。そういう教育が必要だと思います。マイノリティに対する思いやりややさしさを持ち、あの人たちを理解しようということではなく、特権を自覚する。例えば、異性愛者は結婚できるという特権を持っているのに、同性愛者にはそれが付与されていないのであれば、同性愛者も同じ権利を持つのが当然だということになります。どうしたら、それが実現できるのかを考え、実践する。それには教育が必要だと思います。

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